「コクリコ坂から」ゴローちゃん命綱繋がったんじゃないか

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タイトルは見終わったあとの感想です。

鈴木Pのインタビューで「ジブリでは宮崎駿さんの口出しをスルーできるのが宮崎吾朗さんしかいなかった」と言っていたことを考えると、もしかしたらこれでなんとかジブリも延命できたのかもしれない、とも。宮崎吾朗さんはアニメど素人だったはずなのに、二度目の監督でこれが出せるなら十分及第点じゃないかな。ドワンゴ会長の川上さんが吾朗さんは天才って言ってたのもあながち否定できない。

川上氏:  鈴木さんが言うには,父親が家に帰ってこないから,父親との唯一のコミュニケーションが,父親のアニメを見ることだった。だから,父親が作ったアニメのほとんどのシーンのレイアウトを暗記していたっていうんですよね。

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川上氏:  そう。吾朗さんは,とても苦労している方なんですよ。全然,楽な道を歩んでない。酷い作品を作ったら「やっぱり息子は駄目だ」と言われ,良い作品を作っても「父親のおかげだ」とか言われる。彼はそういう道を選択したわけじゃないですか。

4Gamer:
 勝ちの目が見えないですよね。普通は「やれ」って言われたら逃げちゃうと思います。

川上氏:
 正解がないルートを選んでしまっているんですよ。吾朗さんは。勝ちのカードがないゲームをやってる人なんです。でも,彼は周りに何を言われようとも,へこたれていない。前を向いて頑張っていますよね。

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ただ、「コクリコ坂から」は子供向けではない。エンターテイメントでもない。例えばジブリの作品で「紅の豚」や「海がきこえる」が好きだという方にはおすすめかも。決して活劇映画ではなく、わかりやすいわけでもなく、旗信号の意味については最後まで分からない人がほとんどだろう。ただ、僕は好きだ。

対象年齢は30から70までの男女。いままでのジブリで一番高年齢層向けとも言える。さらには「わかりやすくない」。丁寧に登場人物の会話を拾い、表情をしっかり観察しなければ、わからない事が多い。それを説明不足として捉えるか、よけいな説明がないと捉えるかは評価が分かれるところだろう。僕は後者だった。

映像はさすがのジブリだった。60年代の横浜にいるという臨場感を確かに感じた。僕はその頃生きていなかったけれど、まるでその頃の臭いすら想像できるかのような映像だった。席が取れなくて映画館の前のほうで見ることになったが、結果オーライと言えた。

予想以上だったのは音楽だった。選曲とタイミングが大変いい。心を掴まれる。効果音のタイミングもかなり効果的だったように感じた。あんなに緊迫感のある合唱を聴いたのははじめてかもしれない。

また、プロ声優でなく、俳優を使った事については特に気にならなかった。この記事によると長澤まさみは相当苦労したようだが、結果として違和感なくまとめられていたと思う

一緒に見に行った親父62歳(青春映画好き。「青春デンデケデケデケ」とか好き。)は、はじめてジブリのブルーレイディスクを買いたいと語っていた。


原作漫画。1980年に少女漫画雑誌「なかよし」で連載されていました。

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サウンドトラック。なかなか聞き応えのある音楽が多かったので購入予定。

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以下、個人的な思索。映画を観て個人的に考えたこと整理。

あの映画にも登場した60年代の学生というのは、どうしてああエネルギッシュなのだろう。学生運動にしたって、現在の二十代後半たる自分たちの世代が学生時代にそれを起こすことはあまり想像しにくい。なぜだろうとよく考える。

ひとつ考えるのは、僕らの世代が「お客様」になってるのかもしれないという想像だ。もちろんこれは乱暴なくくりで「おまえと一緒にするな!」という同世代の方もたくさんいるだろう。ただ、そう思うのだ。

想像するには、60年代はまだまだ日本社会は未成熟で「こんなんじゃだめだ!ぼくならこうするのに!」といくらでも思える余地があったのではないかと思う。それはきっと50年代はもっと顕著だったのではなかろうかと。だから、エネルギッシュであることがまず大事で、実際そのエネルギーは日本を確かに変えていった。

一方、今のように完成度の高い社会システムの中に生まれてみると、自分の内面から生まれる世界では、この世界に対抗するのは厳しいと感じる。「自分だったらこうするのに」と思える余地があまりない。圧倒的すぎて、世界を受け入れるしかないのではないかと思える。一分の遅れも許されない鉄道システム。大地震にすら耐える建築物。これ以上のものを、どうやって実現したらいいのか。細かいツッコミはできても、大枠の設計を崩すのはリスクが大きすぎる。正直、相互が絡みすぎて複雑になりすぎている。

今のところ「投票システムを含む効率的な電子政府の完成」が打てる手だと思っているが、そこはITベンダ利権親父の巣窟で、ものすごい政治の世界だ。自分はセキュリティインフラプログラマなので、比較的近い位置にはいるが、それらの利権を崩して本当に効率的な電子政府システムを作りあげる上で全く決め手に欠ける。

映画に出てきた60年代の学生達のように、変化を信じて行動するその姿が眩しい。