人生が豊かであるということについて

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気づけばブログに何も書かずに一年以上経ってしまった。毎日お盛んにTwitterはやりまくっているのだけど、結果としてブログはまるで廃墟のようになってしまった。今となっては「西岡一樹」でGoogle検索するとこのブログが出てくるようになってるのにこんな体たらくでは全国の西岡一樹さんに申し訳が立たない。

参院選のネット絡みの話でも書こうかと思っていたのだけれど、そうすると前回のエントリも政治関連と言うことで、まるで政治ブログのようになってしまう。それは避けたい。なのでたまには雑文でも書いて肩慣らしでもしようかと思う。なので内容は特にない。

たまたまこんな記事を見つけた。

シンガポールの様に、最高所得税率をががっと下げて、株式売買益に掛かる税金を0にして、その上、最先端の企業は税制優遇をして、やれば、高層ビルが有ろうが無かろうが、東京は嫌でも国際金融都市になりますよ。そんな事したら帳尻が合わなくなってしまうから出来ませんけどね。シンガポールや香港みたいにガンガン誘致出来る独裁的政体が同じような時間帯にある限り、東京の目は無いやね。もちろん、東京はこれからも重要なアジアの都市でありつづけると思いますが、金融センターには、もう、なれない。

でもそれはしょうが無いですよね。いろいろな考えがあると思いますが、大体の方は、金融都市になる代償に、日本を格差の開いた自由の少ない国にしたいとは思わないでしょう?僕もそうは思いません。

それでも、金融都市にしよう、しよう、とか騒いでいる人がもし居るのなら、その人は、ほんとに金融都市にしようってんじゃなくて、意味の無い投資を国や自治体や私たちにさせて、そこで、うまい汁を吸おうっていう人だと思った方がいい。

東京は、もう、ロンドンの横にあるパリみたいに、文化都市として生きていくのがいいんじゃないかなあ。

勤めていた外資金融の会社が、東京から香港に移転する決定をしたので、東京に残るために転職した人はそう思いました。

東京は金融とか、そんな事は忘れましょう。 - Oh, you `re no (fun _ → more)

まあ実際その通りなのだろうと思う。まだ海外はアメリカ西海岸とタイとオーストラリアとシンガポールにしか行ったこと無いけど、大体自分の直観と一致する。

東京というのは文化都市なのだろうと思う。例えば、シンガポールは金融都市として成功しているけれど、あの国に住みたいとは思わない。

僕は経済が豊かな国に住みたいのではなく、文化が豊かな国に住みたいのだ。文化が豊かと言うことは何か。生の楽しみの種類が豊富だということだ。食の種類でもそうだ。スポーツでも、漫画でも、本当に色々なものがそろっている。

僕は何のために生きているのかと言えば、豊かに生きるために生きているのがメインで、ついでに何か仏陀みたいに悟りを得られれば尚良いし、ついでに日本の電子政府も一位にできれば尚良いと思っているが、やっぱり豊かに生きるというのが人生の最大目的だ。目標指向型とはとても言えず状況対応型の典型例である。

人生は楽しむ事だ。楽しみというのは定年までとっておくものではない。そんなころまでとっておいたら楽しみ方など忘れてしまう。だったら今楽しむことだ。

豊かに楽しむためには苦しむことも必要だ。豊かさとはコントラストであるからだ。コントラストとは色彩が豊かと言うことで、人生の苦しみも色彩の一つなのだ。

プラネテスという漫画で僕が好きな台詞として「全部オレのもんだ。孤独も苦痛も不安も後悔も、もったいなくてタナベなんかにやれるかってんだよ。」っていうのがあって、それはまた極論ではあるのだけれど、しかし苦痛すら彩りにはなり得るのだと僕は思う。当然、それ一色に染めてしまうのは本末転倒であるし、それは全く豊かではないのだけれど。

そういう意味では僕は日本の自殺率の高さすら豊かさの象徴なのだと考えている。「自殺を選べる」という豊かさがそこにはあるのではないかと考えている。根拠は日本より自殺率が低いはずのアメリカの鬱病率の高さだ。二倍以上高い。これは一体どういう事だろう?なぜこんなに鬱病者が多いのに自殺率が低く抑えられているのだろう。

よく言われるのが宗教上の理由だ。例えばアメリカにはキリスト教信者が多い。キリスト教において命は神から与えられたものであり、よって自殺によって命を自ら奪う行為は宗教上全く許可されない。一方、日本は大多数が無宗教ということになっており、少なくとも明文化された宗教はなく、よって大多数の人間は宗教上の理由で自殺する自由は奪われていない。

つまり生きていく上での選択肢が豊富ということであり、いつでも死ねる、ということはつまり自由であり豊かと言うことなのではないかと考えている。

まあこれは個人の見解であり、他にも日本には死んだ人をうるさく言わない文化とか、自殺要因については色んな話があるのだけど、まあそれは「文化」による「人生の豊かさ」みたいな話から少し逸れてくるので割愛する。

そんなわけで僕は日本という国は豊かに生きよう、という目的の上でみるなら極めて高い水準で豊かさを実践できる国ではあると思うし、確かに再挑戦が難しい、みたいな話はあるにせよ、そこらへんは上手くバランスを取りながらやっていくことは不可能ではないのではないか。なにより定年以後に楽しみをとっておく、みたいな生き方はどうにも止めた方がいいのではないか、っていうか自分は絶対しないことをここに宣言する。

まー最近では?ホームレスとしての生き残り方までネットで見付かる時代ですので、再挑戦難しいですねといってもいざとなってもいくらでもやりようはありますし、知識によりやり方の選択肢を増やして目指せ美味しんぼのホームレスグルマン辰さん(デパ地下試食の達人)ということです。知識共有社会万歳ということで、ますます世界は豊かになりますし、僕らは本当にいい時代に生まれましたね。

成果は知識と想像力によってその限界が設定されますので、ネットによる知識共有社会においては知識はいくらでも取得出来ますし、元ネタとしての知識は多ければ多い程想像力も加速させることが可能ってもんで、成果の限界は過去に比べればまるで無制限という勢い。この場合の「限界」は「成果」の幅広さによってその無制限さが表されているという話です。

僕は人生を楽しみ苦しみ豊かに彩り、死のうか迷える自由さに心震えながら今後も色々豊かに生きて行けたらと思いますし、十年後の僕がなんて恥ずかしいことを書いたんだとこの文章を読んで赤面する有様をメタ的な立ち位置から目の当たりにすることを楽しみにしています。