恋愛話は、はてな匿名ダイアリーに書くに限る

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たとえば、頭に浮かぶ仮説を書きたいなら、自分のブログに書けばいい。ブログに書くのが躊躇われる仕事の愚痴的な体験談は、 たとえばmixiをはじめとするSNSに書けばいい。

でも、恋愛話は、どうも自分の名前で書くのは躊躇われる。

なぜなら、恋愛に普遍性はないし、本質もない。ならば、僕の名前で書いても、皆の役に立つ何かを書くことは出来ない。公と個の割合で、 圧倒的に個が高くなる。属人的になりすぎるのだ。つまり、ほかの恋愛話との比較も出来ないということになる。理解と納得を求めるのではなく、 共感と同調を求めて書くことになる。

だからそんなものは、はてな匿名ダイアリーに書いて然るべきだと、僕は考えている。

 


 

恋愛に本質はない

恋愛をするとき、たとえばマニュアルに頼る人がいる。雑誌で、「ゆるふわ愛され」を目指す、という記事は絶えない、 それを買う人も絶えることがない。

しかし、僕は思う。恋愛に本質も、普遍性もない、と。

本質とは何か。普遍性とは何か。それは、時代性を超えて、属人性を超えて、全てを通観するものである。 川の流れの中つやつやの丸い石となって、川の深いところに沈み、どんなに川が流れてもそこに残り続ける。それが、本質であり、普遍性だと、 僕は考える。

でも、恋愛にそんなものはない。

人によって、時代によって、ぜんぜん形が違う。それぞれの人間ならば、ある程度の類型パターンを求めることは出来ても、 その組み合わせの無限性、さらにそこに時代背景や環境的な要素の影響を考えると、どうしたって、「恋愛の本質とはこういうものだ」 という仮説など出せるものではない。

恋愛とは、常に「私とあなた」の間に「今」を作り続けるものであり、その現場において「本質」という概念は目眩ましにすぎない。

 


 

だから恋愛話はブログには書けないし、SNSにも書けない

そういった、仮説が出せないなら、たとえばブログには書けない。僕にとってブログは、論文である。学術論文である。仮説があり、 それを裏付けるデータがあり、発表する。そしてブログをハイパーリンクで引用し、トラックバックで引用される。 そんな僕にとっての論文であるブログに、「恋愛とはこうだ」と仮説を提示することなど、僕には不可能に思える。

ならば、自分自身の恋愛体験談をSNSに書けばよいか。僕はそれも関心がわかない。なぜなら別に共感も同調もいらない。そして、 恋愛に本質はなく普遍性がないものである以上、人の恋愛について真に理解をすることなど不可能だ。僕は、 本当に僕の恋愛について理解をしてもらえるなら、たとえばSNSに書くかもしれないが、そういうことはまず不可能だ。

だから、恋愛話はブログにも書けないし、SNSにも書けない。

 


 

でもどこかで、心がもやもやするから、匿名ダイアリーを書く。

結局、もやもやするのだ。恋愛の話なんて、書いてもどうしようもないのに、どこかで僕の心がそれを求めている。きっと、 整理をしたいのだと思う。それならば、それこそリアルチラシの裏に書けばよい。でも、何故書かないか?

それは、人の目に触れる、という前提があるからこそ、正確な文章を書くことが出来るからだ。そして、正確な文章を書けば、 自分の心が整理できるからだ。

人の目に触れるからには、あいまいな表現が僕の中では許されない。この動詞の主語は何か。One word One meaning/One sentence One idea/One paragraph One topicは守れているか。(via 篠田義明先生)そこに妥協が許されなくなる。あくまで僕の中で。まだ、ぜんぜん出来ていないけれど。

しかし、本当は、他人に見せるための文章ではない。僕が、僕自身に見せるための文章。恋愛の、なにかそういったもやもやの何かを、 なんとかこの活字の群れに潜ませるための文章。せむし男のようななりで、阿呆のように両手をキーボードを打ち付けて書く、 そういった類の文章だ。

書いて、何の得があるのか?きっと何の得もない。

そういった文章のために、きっとはてな匿名ダイアリーはあるし、これからもあり続けるのだろう。

 


 

なお、この話は「恋愛話」ではなく、「恋愛話は、はてな匿名ダイアリーに書くに限る」仮説を提示するという意味で、 ブログに書ける内容である。

そして、はてな匿名ダイアリーに何か恋愛話を書こうとしたのに、なぜここにそれを書くのかの理由を前文で書こうとした結果、 前文が本来の恋愛話が書けなくなるほど長くなり(http://anond.hatelabo.jp/20080719114616) 、せっかくだからと、文章をそのままブログに転載したことを心より恥じる。