今回の秋葉原通り魔事件。自分と同年齢ということもあり、原因について色々仮説を考えてはいた。
- TVの中にしかないリアリティ
- 物質的に豊かな時代において最も奪い合いになるのはattention × timeであって、 そこにこそ格差がある
- 世界に自分は一人だけという意識と、人類は世界に数十億いるために発展してきたという事実の食い違い(関連: 「私」は一人しかいない。「人間」は掃いて捨てるほどいる。 - 劇場管理人のコメント - 分裂勘違い君劇場グループ)
- 今の時代は選択肢があるからこそ、失敗に対し自分に言い訳できないストレスはバカに出来ない (関連: 「彼女がいない、この一点で人生崩壊」 秋葉原殺人犯の孤独と苦痛 | エキサイトニュース)
しかし、色々仮説はあるけど確信が持てない。そんな仮説なんで自分をスッキリさせるためのものなので当然のことだけど。 なので語れないなーと思ってたら以下のようなmixiトピックを見かけた。
以下、[mixi] 1983 | 秋葉原の事件の犯人僕らとタメ という1983コミュニティのトピックの冒頭。
正直、犯人のツラみて「オイこれ本気でタメか?誤報じゃね?」って
最初にボクは思いました。だってすごい老け顔なんだもの。僕らの世代は2000年に起きた西鉄バスジャック事件や
大阪の酒鬼薔薇事件、バタフライナイフ、心の闇、キレる10代
なんてワードで括られることが多い世代なわけです。
(あとエヴァンゲリオンなんてのもありましたね)
ソイツらが今、25歳を迎え、尚こういう事件が起こる。
(中略)純粋に、皆さんはどう思われましたか?
全体的に人事であるなというか、25歳世代と自分は関係ない、という印象を受けた。 (1983コミュニティ参加している以上、25歳前後であるはずなのに)また、 同じように25歳前後であるはずのコミュニティメンバーからは
人生に疲れてどうでもよくなったなら独り命を絶つ方が殺人するよりもはるかにマシだと思うよ。
今の、現代社会は「何かがおかしい」と思います。
人間が未熟すぎる。取り調べで涙を流したと報道がありましたが、腹立たしいです。
などの意見があり、違和感を感じた。なので違和感を整理しつつ文章を書いた。トピックにも投稿したが、 ブログにも転載する。
1983年は、イノシシ年だなとふと思った。キレたときの突進力や行動力が性急な人は確かに自分も含め、同世代に比較的多いと感じる。
今回の問題を「心の成長」とか「心が未熟」とか「教育の問題」とか無理やり理由をつけてもどうしようもない。「犯人は心が未熟」
って言っている人ほど気をつけたほうがいい。未熟でない人間なんていない。状況に追い詰められきったとき、
自分の未熟を自覚してないと制御しきれない。
さらに、「最近の世の中がおかしくなってきている」というのは大人の自覚が足りない。なぜなら、25にもなって、
自分が世の中を構成する一人であるという自覚と責任を持っていないからだ。それはとても恥ずかしいことだ。自分は世の中とは関係の無い
「純粋な存在」だと思っている人であろうと、この世の中を間違いなく構成している一人だ。
トピ主は今回の犯人を「同世代とは思えない老け顔」と書いたが、それほど追い詰められていたのだろうと推察できる。しかし、
その犯人の心理には共感も理解も出来るはずがない。だから「こうすれば犯罪は起こらなかった」みたいなifは意味が無い。
ああいう特異事項に無理やり「犯罪を起こした理由」を定義して、自分を納得させて安心させてもどうしようもない。
このトピックには、テレビの中の出来事をフィクションかドラマかのように現実感なく、責任感なく扱っている空気があって、
それには違和感を感じた。人を巻き込むぐらいならお前が死ね、というのも、結局ある種の自己中ではないのか。(つまり私に迷惑を掛けるな、
ということで、自分以外の範囲を面倒見る気がないという意志が垣間見られるから)
これだけの残虐な事件が同世代から何度も出ているのだから、 自分自身にそのような突発的衝動に任せて破滅的行動を起こしてしまう可能性が無いか、常に気をつけていかなければならないと感じる。
自分でも曖昧で、いい加減な結論だとは思うが、今の所これ以上うまく整理できない。みっともないことだが、あえて恥を晒そうと思う。
で、このブログをアップした直後、以下のような意見を頂いた。
他人のことを「弱い」と言えてしまえる人は若いって思いますね。自分が強いと思っている。
Twitter / 酒々井 しげる
そのとき、こんなことを思った。
「25 にもなって、人のことを『心が未熟』『人を巻き込むぐらいならお前が死ね』 と言ってしまえる人間がいる自分の世代だからこそ、こんなことになってしまったんじゃないのか」
今回の犯行に関して「わがままだ」「自分勝手だ」「人の気持ちを全く慮ってない」 という意見を一番最初に書いたトピックでも散見した。他者への共感の薄さという意味では、犯人も、僕らの世代そのものも、 あまり違いはないのかもしれない。


コメント (2)
自分の立ち位置がそこにあるということは、
どんなに正しさを説いてもその分誰かがこぼれ落ちている事には変わりないわけで。
そこの捉え方なんじゃないかなあ。
投稿者: なかだるみ | 2008年06月10日 22:16
日時: 2008年06月10日 22:16
「こぼれ落ちる」
というのはキーワードだと思っています。
どこからどこへ、という意味でも、どのように、という意味でも。
投稿者: 西岡 | 2008年06月11日 00:35
日時: 2008年06月11日 00:35