「やる気と時間のポートフォリオをどう組むか」とその世代間ギャップについて

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社会人になると、やる気と時間が有限であることを毎日のように思い知らされる。自分などは、色々な意味で無理が出来ない性格であり、 根が詰められないだらしがない性格なのでなおさらだ。どんなにやることがたまっていても、おなかが減っていたり、 睡眠不足であるならばまずそちらを優先する。

ならばやる気や時間の投資先は常に重要で、ある程度分散して投資をする必要がある。今の時代は非常に情報にあふれているため、 「やろう」と決めれば出来ることはとても多い。問題はどの分野に対してやる気と時間を割り振るかということになる。 たとえば今回の僕が受験した簿記二級の勉強は、会計領域への投資はリターンが見込めると判断したからに他ならない。

 


 

少し前になるが、十年泥発言(「10年は泥のように働け」 「無理です」――今年も学生と経営者が討論 ? @IT)の色々がなぜあそこまで問題になったのか、はこれに関連する。

僕らの世代は多かれ少なかれやる気と時間のポートフォリオを如何に組むかについては非常に悩んでいる。「やりたいことがわからない」 というのは、つまりやる気と時間のポートフォリオを如何に組めばリターンが得られるのかが見えないということだ。 リターンが明確でない商品に十年もやる気と時間の投資を薦めるセールスマンは、当然投資家から袋叩きに合うだろう。 リターンを明確に出来れば、投資を考える人もある一定数は期待できただろうに。(関連:404 Blog Not Found:泥のように働いて、何が出来上がりましたか?)

 


 

この「やる気と時間のポートフォリオ」という考え方は、僕の世代、即ち82年度生まれから下により如実になっていく、 という感覚がある。僕が感じる先輩たちからの意見を総括すると

「現状をまずは我慢して受け入れるべき。あと飲み会来い」

下の世代からは

「我慢するなど時間の無駄だし選択することから逃げてるだけ。あと飲み会めんどいし参加は個人の自由」

という意見が聞こえてくる。これが82年度世代特有の感覚かはわからない。が、しかし、確かに感じる。

僕らより若い世代は、「選択」が何より重要であり、それが「勝ち組と負け組を分ける境目」であり、それは「自己責任」である、 と考えている。そして選択の際には「既存フレームワークに対する不信感」が強く影響している。既存フレームワークとは、 いわゆる昭和的なものであり高度経済成長的なものであり、年功序列であり飲みニケーションでもある。

確かに僕らの世代はバブル時代とその崩壊、失われた十年とその回復を経て就職をした。僕より下の世代は、 バブル時代は物心ついていない。バブルは失われた十年の大原因である忌まわしきものぐらいの感覚しかあるまい。ならば、 既存フレームワーク=昭和的なるものは、失われた十年を呼び起こした忌まわしいものである、と考えていてもおそらく無理がない。 学生がメインユーザであるはてなブックマークで、国家叩きのコメントが散見されるのもおそらく偶然ではあるまい。 現在の日本の国家は既存フレームワークの象徴であるからだ。

さて、では僕らの82年度世代はどうか。既存フレームワークへの信用度が五分五分の世代、といえるのではないか。 バブルのエネルギーもこの身である程度感じ、既存フレームワークが生み出してきたものの価値も知っている。しかし、 失われた十年のダメージも身をもって知っている。僕などは親父の会社が倒産などしており、もっと身をもって知っている。


今回の秋葉原無差別殺傷の加藤容疑者は、82年度生まれの人間である。彼は掲示板で多数のログを残している。 その中に以下のような一文があった。

「チャンスは全ての人に平等に与えられるべき 生かせるか生かせないかはその人次第」「もしかして、俺、チャンスを逃してるわけ? そんなチャンス、人生に一回もなかったけど」(6月4日5時20分、21分)
「彼女がいない、この一点で人生崩壊」 秋葉原殺人犯の孤独と苦痛 | エキサイトニュース

残念ながら、僕はこの意見は理解できる。当然加藤容疑者のやったことは許されるものではなく、 被害者のことを考えれば死刑が当然である。しかし一方で理解が出来てしまう。既存フレームワークにどうしても振り回されてしまいつつも、 その結果失敗すれば、「やる気と時間のポートフォリオ」を組むことに失敗した「自己責任」である、という感覚。


「やる気と時間のポートフォリオ」は、 TVなどの大衆向けの薄めの情報ではなく、より自分にとって濃度の濃い情報を得て選択肢が具体的にならなければ、 明確に割り振ることなど出来ない。自分にとって、「濃度の濃い情報」は「はてなブックマーク 人気のエントリー」だった。 ここで毎日更新される情報には「やってみようかな」「試してみたいな」と思わせる選択肢がたくさん用意されている。「濃い情報」 というものはそういうものだ。

学生時代になぜこれに出会わなかったのかといまだ悔やんでいる。学生時代、 僕は結局ポートフォリオをどうするか決めきることが出来ず、既存フレームワークに従い就職を行った。同じ選択を行うにしても、 もう少し能動的に何か出来たならば、そう考えている。(関連:【はてなを見ている学生向け】 学生時代にプログラミングのバイトをしなかったのが本当に悔しい (西岡Blog))薄い情報ばかりを集め、 演劇の道に進むかどうしようかなどくよくよ「悩んでいた」。「考える」こともせずに。

悩むとあっという間に時間が過ぎます。そして、何も生まれていません。「どうしようかなあ……」 と堂々巡りを続けるだけです。
 考える場合は、時間が過ぎたら過ぎただけ、何かが残ります。それが結果的に間違ったことでも、とりあえず、何かやるべきこと・ アイデアが生まれるのです。
活字中毒R。 - 悩むことと考えることの違い

では「やる気と時間のポートフォリオ」について「考える」にはどうしたらいいのか。 それは個別具体的な濃い情報を収集し、自分の投資先をより明確かつ具体的にイメージできるようになることだ。僕にとって、 その具体的なイメージの指針のひとつになったのが「はてなブックマーク 人気のエントリー」だった。なぜなら、 そこには様々な情報と、それに関する考察が山のようにあって、それは毎日更新されていくからだった。

エロ動画の収集によって、学生時代の僕は非常に高い情報リテラシーがあった。が、しかしそれは「プル型」 つまり欲しいものが決まっている場合に役に立つリテラシーであって、「そもそも何を手に入れるべきか」という指針が見つからなかった。 そのとき「プッシュ型」である「人気のエントリー」からの情報は非常に役に立った。 興味ある情報が、非常に読みやすくまとめられた記事がたくさんあり、情報収集も苦にならなかった。

当然、人気のエントリーのみを情報収集しつづければ偏る。しかし、 僕はそこを入り口として、そこで紹介される様々な本を読み、Livedoor Readerで様々な情報を収集するようになり、 様々なプログラミング言語を習得するにいたり、今も英語のPodcastを聞いている。そこには、自分を突き動かすほどの「熱意ある」 情報であふれていた。入り口さえあれば、そこから世界は広がっていくのだ。

加藤容疑者には、そのような「自分が欲しいものを決める助けになる情報提供の場」すらなかったのではないか。 彼は、携帯ユーザだった。最後の書き込みすら、僕らが知らないような非常にマイナーな掲示板で行なわれていた。 あれだけ自己顕示欲が強い人間ならば、2chが場所としてはふさわしかろうに。

しかし、「自分が欲しいものを決める助けになる情報提供の場」を持っていない人は、おそらく大多数である。 そして、ポートフォリオを組まなければいつか「こぼれ落ちてしまうのでは」という感覚を持ちつつ、それでも目の前の様々に「泥のように」 取り組んできたのが、今までの当たり前であり、既存フレームワークだったのだろう。かつての集団就職に象徴されるように、 選択肢などなかった。哲学者の内田樹は「仕事はさせてもらうもの」と言っている。(労働について (内田樹の研究室)

しかし、思う。「仕事はさせていただくもの」という考え方は、「欠乏を生きる知恵」であったのではないか。 儒教的な既存フレームワークの尊重は、そのリターンが保障されない世界で、第二第三の加藤容疑者を生み出していくのではないか。(関連書籍: 「ひきこもる小さな哲学者たち」 「若者はなぜ3年で辞めるのか? 」)

学校は「将来の夢」を書かせている暇があれば、「やる気と時間のポートフォリオ」 を組ませなければいけないんじゃないのか。就職活動で「やる気と時間のポートフォリオ」を組むことを覚えた若者は、 そんなものは必要ないとばかりに泥のように働く先輩たちをみて、辞めたくなるんじゃないのか。

投資先の選択肢と、そのリスクとリターンを、 もっともっと皆に伝わる場所に公開していかなければいけないんじゃないのか。それこそ学校教育という最大最強のメディアを利用してでも。


とはいえ、僕は占いの趣味を8年やっているので、 そんなに自主的に人生を生きたい人ばかりでないことも知っている。運命線は人生の自主開拓具合を示すといわれているけど、 それがない人はたくさんいるし、それがなければ人生失敗するとも限らない。流れに任せて生き、 与えられたことを全力でこなすことで成功してきた人も、たくさんいる。それはそれで、いいと思っている。

でも、「選択しないこと」を「選択する」場が、重要なのではないか。あってもいいのではないか。 自分で自分の生きる道を選んで認めてやれるフレームワークが、あってもいいのではないかと思っている。

情報化社会の最終課題は、そこにあるのではないだろうか。

追記(20080701)

梅田望夫氏が僕のいいたかった何かをかなり代弁してくれた!!

「世界観、ビジョン、仕事、挑戦―― 個として強く生きるには」講演録(JTPAシリコンバレー・ツアー2008年3月6日) - My Life Between Silicon Valley and Japan