「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法 - 分裂勘違い君劇場
上記の記事をよんで、色々考えてみる。
たまに悩み相談などを聞いていると、「何の為に生きているんだろう」という言葉を聞く事がある。で、たいていの場合、 その言葉の意味は「(こんなに辛い状況を耐えてまで)何の為に生きてるんだろう」 ということになるケースが多い。何故なら、生きていることそのものが幸せだと感じるならば、 「そんなの生きる為に決まっている」となるはずだからだ。
でも、人間には辛いときももちろんある。「(こんなに辛い状況を耐えてまで)何の為に生きてるんだろう」 という疑問がでる人もいるだろう。そういう時に、例えば守るべき家族があったり、夢があったりなど、その疑問に対して答えがでる人がいて、 そういう人はそんな疑問の出るような心境のときも頑張ったりする。でもその疑問に打ち勝てなくなってしまったとき、 人によっては自殺をすることもあるのだろう。
「何の為に生きているかは、生きる為に決まっている」というのが基本なのだろうけど、人によって「生きる為」 という言葉の意味が大きく揺れるんだろうとは思う。それが一貫している人は、それを持っている間は強みになる(それが「好きを貫く」 ということにあたる)。そして、それを失うと弱みになる。(例:子供が生きがいだった人は、子供を失うと生きる意味を見失う、など) つまり生きる意味を絞り込むのはある種ギャンブルで、その覚悟はなかなか生まれるものではない。また、絞り込む前に飽きてしまう、 というケースも多いのだろう。それは正に僕のことである。
どういう状態になれば僕は「生きている」と言えるんだろう。今よりももっと「生きる」方法はあるんだろうか。それともこれ以上に 「生きる」方法などないんだろうか?とか、そんなことを考えたので、とりあえずメモっておきます。

