「最近の若者は?」と経験とidentityについてつらつらと

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

こんな記事がありましたので、それを元ネタにつらつらと。

プラトンのソースから、二千年前から「最近の若者は…」と言われていたことが分かった。また、柳田・セイスのソースから、おそらく四千年前から似たようなグチが垂れ流されていたようだ。

わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 最も古い「最近の若者は…」のソース

「近頃の若いもんは」というのは自分の経験を肯定したいが故の発言とも取れる。そしてそれはあらゆる場所で見られる。多くの人間にとって、自分の経験はidentityになり得る。

そして、その経験が役に立たない状況に遭遇すると、 identity crysis を引き起こして自我を保てなくなる。よって経験に依存した identity を持つのは危険ともいえる。

でも人間はなんらかに identity を持たないと自信が持ちにくい生き物で、自信が持てなければ人間は生きていきにくい。自身の価値を証明する何者かが必要で、それが仕事であったり、お金であったり、家族であったり色々ある。

本当はその identity の役割を果たすのが宗教で、自身を肯定するために存在している精神基盤なのだけど、日本人にはそれが無い(ようにみえる)。よって宗教に属する人には、まるで無宗教はテロリストであるように感じられる。

山本七平は、そんな日本人は「全員『常識』という名前の日本教に属している」といった。努力をすれば報われる。人の和が大事。人間は皆平等。といった『常識』もしくは『良識』といわれるもの。 それが教義とされる日本教に属しているのだと。

例を出すと、ホリエモンが、なぜあそこまで叩かれたかといえば『人の和を尊ぶ』という『常識』から外れていたからだ。

しかし、この『人の和を尊ぶ』というものは曲者で、『人の和』が保たれるためならば『常識』はどんどんどんどん変化していく。『日本教』が明文化されて無いが故の現象。

どんどん自分が依存したい『常識』が変化するその中で、唯一積み上げられた(ようにみえる)経験に identity を持つのはある種当然の精神的防衛行為。が故に、どの時代の老人たちも『最近の若者は』という。そしてきっと僕らもそれに近い感情を覚えるのだろう。

しかし自覚が必要だ。「経験」は絶対的価値じゃない。自分の視界を狭める曇りガラスにもなり得る。問題は、「経験」に閉じこもるなと言うことなんだろうと思う。そうすることで、初めて「経験」が生きてくるのではないだろうか。