奉仕=Service
最近英語を和訳した本を読むことが多いのですが、その中に「人に奉仕することは大事」という文脈が多いです。
なんか大仰だなあ、と思っていて、じゃあ奉仕を英語にするとなんだろうと調べてみたら、「奉仕」=「Service」でした。
ああ、なんだ、「奉仕精神」って「サービス精神」のことかー、って思って、ちょっと安心したのでメモしておきます。
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最近英語を和訳した本を読むことが多いのですが、その中に「人に奉仕することは大事」という文脈が多いです。
なんか大仰だなあ、と思っていて、じゃあ奉仕を英語にするとなんだろうと調べてみたら、「奉仕」=「Service」でした。
ああ、なんだ、「奉仕精神」って「サービス精神」のことかー、って思って、ちょっと安心したのでメモしておきます。
今回のお話は、経験、感覚をベースにしたお話です。なので異論反論募集中。
日曜の昼いいとも増刊号で、参加タレントが「恋人の年齢差いくつまで許容できる?」というコーナーをやっていました。で、タモリさんは現在62歳なのですが、35歳差までは許容できる、と言っていました。つまり27歳まで行けると。まわりは42歳差、つまり20歳まではいけるんじゃないかと予想してました。
で、それをみて、オヤジがボソっと「わかるわぁ…」とつぶやきました。
で、僕は一体何を根拠にそんなことをいうのかと問いつめてみたところ、表題のことを言うわけですね。「女の20歳はまだ十代のつもり、21歳はかなり衝撃的に、でも踏みとどまっている。で、22歳は、もう、あーあ、みたいな感じになる。それ以後の女の人でないと話すのは疲れる。」とオヤジはいうわけですね。オヤジは現在58なわけですが。
じゃあ男はどうなのさ、と聞くと、「20,25,30,35…と歳を実感する」というのですね。どこかで「男の誕生日ほどどうでもいいものはない」という意見があったのですが、ああ、そういうことなのかなと。
実際自分は今、24で、結構色々焦っております。人生を既定路線で行くか、新規路線で行くか、みたいな悩みです。で、もし表題の話が正しいと仮定するならば、自分の焦りにも理由が付く。妹はいま22歳で、自分以上になにか色々焦っているのですが、それにも理由が付きます。
客観視することで、行動のエネルギーが安定しちゃうのは善し悪しなのですが、なにか妙に納得してしまった日曜の午後なのでした。
ちょっと胸に来る言葉があったので紹介
学校教育を監獄と区別しうるものがあるとすれば、それは共感と想像力と愛である。そのようにある教師は言いました。
「慣性のある生活 - 学校に大事な子供を預けている皆さんへ、元教師が贈る約十個の言葉」より引用
ものすごく重い言葉だなと思いました。
今更ですが、読んでみました。
| 7つの習慣―成功には原則があった! | |
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この本は「成功の本質」に限りなく迫ろうとした本です。「本質」とは、どの時代でもどの人間でもどの世代でも、どんな条件下であろうと存在し続けるものです。
そういう「本質」語りは、どうしても抽象的になり、時には胡散臭かったりすることもあります。しかしこの本は具体例をうまく織り交ぜて、内容を曖昧にぼかそうとはしていません。
そんなわかりやすい具体性を混ぜても、発行から17年余り経っていまだに世界で支持され続けるということは、いかにこの本に込められた「本質」の純度が高いかを証明しているといえます。その純度は、世界最大のベストセラーである「聖書」に迫るものがあります。
「今の状況/自分を変えたい」と思わない人には、この本はそもそも意味がありません。しかし、少しでもそう思う人は、この本を手に取る価値はあるんじゃないでしょうか。「この本の原則に従っておけば絶対に間違いは無い」とは言い切れませんが、たとえば10年この本の原則に従って生きてみても損はなさそうだ、と、僕は考えています。
どうも最近モノが書けません。ブログもmixiもずいぶん更新が止まっています。
忙しいからかけないといわれれば、確かに色々忙しかったりはしてるんですが、それは前と状況が変わらないわけです。ネタが無いのかといわれれば、実はネタはありすぎて(読書ネタ、ブログネタ)ありあまっているぐらいあるんですが、それが頭の中から出てこようとしてくれない。最近では情報があふれてあふれてあたまのなかをぐーるぐる、って感じなのにそれでも書けない。
なんでだろう?と考えたときに、自分自身が「とりあえず形にする力とか勇気とか」を失くしかけているという仮説が立ちました。あまりに自分自身の中にたまりこんでいる情報が多くなりすぎて、その中から取捨選択できなくなっている、ということもあるでしょう。自分自身の中で「これは正しいだろう」という情報や意思を決定できない状態に陥っているのです。
ありていに言えば「自分の中にあるいろいろを信じられない、つまり自信が無い」状態に陥ってしまっていると推測できます。それは本当にとても良くないことで、どんどんどんどん内に引きこもっていってしまう。そして僕の経験則でいえば、アウトプットをしなければいいインプットはできないのです。
せっかく手軽にアウトプットできるBlogやmixiというステキツールを目の前にして、僕は一体何をやっているんだろう、ということです。まあ、ありていに言えば「仕事で色々あって自信喪失した」みたいなことも当然あるんでしょうけど、それはそれとして。
一般社会では、【しゃべらないことが正義】みたいなことも多いけれど、ブログにおいてそれはまず当てはまらない。そこは混同しちゃいけないんだな、と思ったのでそれをメモしておきます。
Googleで、西岡Blog過去記事などをあさって読んでみたのです。
そうしたらもう、なんでしょう。驚きました。何がおどろいたかって、過去の自分がいかに自由に文章をかいていたかということですね。楽しそうでしょうがない。
つまり比較して、今自分は楽しそうじゃないということになる。なんだろう!なんたるチーヤでしょうか。せつなさ爆発です。前は言葉であそんであそんで、書くこと自体を楽しんでいたのに、今となってはもはや感情の引きこもりのような文章です。
過去の自分は、精神的便秘を引き起こしていなかったに違いないのです。
これを書かないで済まそうとすると、過去の自分をいつまでも覚えておかなければならない。尾籠なたとえで申し訳ないが、それは精神的便秘の一番の原因だ。いいことも悪いことも、書いてしまえば「さよなら」ではなく「またね」になる。その安心感が、頭を空にしてくれる。
404 Blog Not Found:ブログの過去ログほど有り難いものはない
最近の私は、正に精神的便秘状態。やっぱり、書かなきゃだめな気がします。
ん、まてよ。つまりそれはあれか、文章は情報排泄物か。ばっちい!
こんな記事がありましたので、それを元ネタにつらつらと。
プラトンのソースから、二千年前から「最近の若者は…」と言われていたことが分かった。また、柳田・セイスのソースから、おそらく四千年前から似たようなグチが垂れ流されていたようだ。
「近頃の若いもんは」というのは自分の経験を肯定したいが故の発言とも取れる。そしてそれはあらゆる場所で見られる。多くの人間にとって、自分の経験はidentityになり得る。
そして、その経験が役に立たない状況に遭遇すると、 identity crysis を引き起こして自我を保てなくなる。よって経験に依存した identity を持つのは危険ともいえる。
でも人間はなんらかに identity を持たないと自信が持ちにくい生き物で、自信が持てなければ人間は生きていきにくい。自身の価値を証明する何者かが必要で、それが仕事であったり、お金であったり、家族であったり色々ある。
本当はその identity の役割を果たすのが宗教で、自身を肯定するために存在している精神基盤なのだけど、日本人にはそれが無い(ようにみえる)。よって宗教に属する人には、まるで無宗教はテロリストであるように感じられる。
山本七平は、そんな日本人は「全員『常識』という名前の日本教に属している」といった。努力をすれば報われる。人の和が大事。人間は皆平等。といった『常識』もしくは『良識』といわれるもの。 それが教義とされる日本教に属しているのだと。
例を出すと、ホリエモンが、なぜあそこまで叩かれたかといえば『人の和を尊ぶ』という『常識』から外れていたからだ。
しかし、この『人の和を尊ぶ』というものは曲者で、『人の和』が保たれるためならば『常識』はどんどんどんどん変化していく。『日本教』が明文化されて無いが故の現象。
どんどん自分が依存したい『常識』が変化するその中で、唯一積み上げられた(ようにみえる)経験に identity を持つのはある種当然の精神的防衛行為。が故に、どの時代の老人たちも『最近の若者は』という。そしてきっと僕らもそれに近い感情を覚えるのだろう。
しかし自覚が必要だ。「経験」は絶対的価値じゃない。自分の視界を狭める曇りガラスにもなり得る。問題は、「経験」に閉じこもるなと言うことなんだろうと思う。そうすることで、初めて「経験」が生きてくるのではないだろうか。
みたいなことを思ったので、「覚悟」という単語を引いてみました。
かくご 【覚悟】
(名)スル
(1)危険な状態や好ましくない結果を予想し、それに対応できるよう心構えをすること。
「決死の―」「危険は―の上だ」「―はできている」
(2)〔仏〕 悟りを開くこと。
(3)知ること。
「郎従小庭に伺候の由、全く―仕らず/平家 1」
(4)覚えること。
「本歌を―す/徒然 238」
(5)観念すること。あきらめること。
「がつきめ、御意ぢや―せい/狂言・武悪」
――の前
前もって十分に覚悟していること。覚悟の上。
「これらはもとより―にて侍れば/平治(上・古活字本)」
三省堂提供「大辞林 第二版」より
色々良くないことが起こる予想がされる場合、当然それを防ぐ為に色々手を打たなきゃならんわけですが、それらをどうやっても防ぐことが出来ず事態が崩壊にいく公算が高い場合、【覚悟】が必要になります。
【覚悟】は悟りとも諦めとも言えるもので、まあどっちにしろ「受容」ということになります。例えば、やったことが全部無駄になる可能性とか、最終的にどっか飛ばされる可能性とか、そういうものを全部受け止められるように心構えをしておく必要がある。
その極端な例が戦時中で言うところの「特攻隊の覚悟」、すなわち「自分の命を失うことに対する諦め」というもので、それはあちこちでドラマになり観るものの涙を誘ったりしています。つまりそれだけ「覚悟」というものは容易ではないということでしょう。
「覚悟」はもう、物事の方向性に対する迷いを捨て去るってことでもあり、あとは突っ込むだけになります。不安はなくなりますが、多分もう引き返せなくなる。そこを含めて「覚悟」をしないことにはもうどうしようもない時ってのは、あります。
そのとき必要なのは胆力とか、気力とか、そういった類のもので、そういったものを出す為には、ちゃんとご飯を食べないといけないなあ、と、そんなことを思ったりするわけでした。
今、「『関係の空気』『場の空気』」という本を読んでいるのですが、面白いです。レビューはちゃんと今度書くとして、内容の骨子を抜き出して書くと以下の通り。
日本語は、「空気」という名の共通認識をベースとした省略を前提とした言語。
→共通認識である「空気」を持たないもの同士のコミュニケーションで往々にして気まずくてコミュニケーションが成立し得ない、すなわち「日本語の窒息」現象が起こっている
→「日本語の窒息」状態が起こってしまうと、コミュニケーション不全が起こり、各々の抱える問題が解決されえないという現象が起こる。
→結果、自殺問題や、突発的な動機による殺人事件の多発が起こっているのではないか
まだちゃんと読み終わってないんで、理解し切れていないところもあります。が、日本で起きている様々な問題を「近年における日本語の機能不全」に落とし込んでいる、という着眼点が興味深いですね。
確かに日本では、共通認識=「場の空気」ありきの会話が繰り広げられることが多く、その認識を持っていない人間はつまはじきにされる傾向があります。(ex)転校生など)その共通認識を持っていない人に教えることもなくその気まずさは続く、ということですね。共通認識を持っていない人間は「空気」を用いたコミュニケーションが理解できずまたそれを使用することも出来ないからです。
集団の決定はほぼ「空気」によって行われる、という着眼点も面白いですね。その観点は山本七平氏の「『空気』の研究」と同じものではあるのですが。しかもその集団の「空気」による決定は、その集団が追い詰められていれば追い詰められているほど、論理的な決定からは離れていきます。(ex)戦艦大和の無謀な単艦出撃)
最近は「KY」という言葉がはやったり、「そんなの関係ねぇ!」というギャグがはやったりするほど、「空気」というものが強く認識されている世の中であると言えます。「空気」すなわち「共通認識」を「察する」ことがコミュニケーション上重要で傾向が強くなっている傾向があります。その上で、「空気」の利点を活かしつつ、「空気」に囚われることなく、「日本語」をうまく使うにはどうすればいいのか。色々考えながら読んでいます。
すっごくシンプルに言うと、主人公松子の転落人生を明るくミュージック仕立てで描いた作品でした。
| 嫌われ松子の一生 通常版 | |
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以下、思ったことをつらつらと。
2001年初版とは思えないほど、現在のインターネットのことを見渡している本です。
| インターネット的 (PHP新書) | |
![]() | 糸井 重里 おすすめ平均 ![]() インターネット的なこと 6年後の今読んでみるとまさに予言の書かも。 日本は「フラット」に向かうのか階層社会に向かうのか 危機感が自分を救う 自分はクリエイティブな体質であるか、どうか。Amazonで詳しく見る by G-Tools |
インターネットと「インターネット的」は違う、ということを話の原点にしたエッセイ本です。糸井重里氏は「ほぼ日刊1101新聞」というサイトをやっていて、 それは毎日35万アクセスするほど有名なサイトなのです。で、そのサイトを運営する上で思ったことをつづったエッセイ集、というわけですね。
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