Twitterと言うサービスがあります。
通称ミニブログとよばれるもので、「日々の呟き」をだれを相手、ということもなく書き込む事が出来る仕組みです。そしてそれに誰からともなく返事をすることも出来る。
僕はこのサービスを半年ほど利用していて、余裕のあるときに呟きを投下して、不特定多数の人と語り合ったりします。
そして、僕は日曜の午後、気分が凹んで以下のような呟きをTwitterに投下したわけです。
僕:毎日色んな工夫や努力や思考を重ねて、少しでも物事を改善しようとするけれど、そもそも改善なんて概念が本当に存在しているのか疑念に駆られてしまうことがある。全て無駄であるなら、何もする必要はないのか?そんな疑念は、多分僕の遙か前に行っている人などはもっと強く思ったりするのだろうか。
すると、Tatsuさんという方から返事が返ってきました。
Twitter / tatsu
Tatsuさん:何もしないと何も変わらない、というのが持論。惰性や流れに流されるだけでは、自分の思った通りにはならないし、その方向性を規定できない。 どちらかというと改善(目的への適合)ができるかどうかというよりは、 物事の方向性をきちんとコントロールできているかどうか、というのが重要な気がする。また、うまくいかない施策だとしても、うまくいかないということが分かった時点でプラスなんじゃないかな。そうすると、メタ的に無駄なことはない、ってことになるのかなぁ? なんか抽象的すぎるね。
ああ、うん、そうか。やっぱりどこに目的を設定するかで評価がポジかネガになるんだな。改善活動は何かしらの目的の適合のために行うのであって、改善活動そのものが目的じゃない。 改善活動の評価軸は結局総体として評価しないと、改善活動そのものの評価だとネガになりやすい、気がする。
僕:なるほど、改善よりも、自分で流れを作ることが可能かどうか、ということですね。運命線の強そうな生き方だ。
非常にタメになるレスポンスありがとうございます。あと[改善活動の評価軸は結局総体として評価]というのが、自分の中で咀嚼できませんでした。つまり短期的な結果というより長期的な結果を追い求めていこう、と?コレもちょっと違うかな。
Tatsuさん:ああいや、それは単に改善活動だけで評価しても意味ないのかな、という程度の意味です。改善することそのものに捉われて何のために改善していたかを忘れるとどうしてもネガな評価になるのかな、と。こちらこそ考えを整理するトリガをもらってありがたいです。 twitter は偶にこういうチャンスがあるからやめられないんですよねぇ。
なんだか少し幸せな気分になった日曜の午後でした。

