タイトルの事のようなことを、昔からよく考えてきました。そして最近、その思いは強くなりました。L.A.旅行のスラム街で命の危険を感じ、アフリカの暗黒大陸っぷりをこれまで無いほど見事に再現した映画「ブラッド・ダイヤモンド」(参照記事:「ブラッド・ダイヤモンド」鑑賞:「暗黒大陸」を最大効率で理解することが出来る映画 (西岡Blog))を見て、自分がいかに今まで食べるのにも困ってこなかったし、十分な教育を受けてくる事が出来たのかを、頭でなく心で理解できたからです。
「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、 間違いなくその通りになる日がくるだろう」とアップルコンピュータCEOのスティーブ・ジョブズはいいました。自分は、その言葉に強く共感して、その言葉を毎日意識して過ごしてきました。でも、最近になって、その言葉の意味を頭でしか理解してなかったのだと思ったのです。
なぜそう思ったか。それは自分は日本という安全な枠の中で、自分の命が無くなる危険など全く実感することなく毎日を過ごしてきたからです。ある日突然唐突に後ろから銃で撃ちぬかれて死んだり、口論の途中相手が激昂して自分を銃で撃ちぬいたりする可能性について、まったく考えてこなかった。今日が突然「人生最後の日」になる可能性について、心底から考えた事などなかったのです。
どれだけ自分は幸せな人生を送ってこれたのだろう。そう思うのです。
この日本というすばらしい国と、変だけど面白く最高にやさしい家族と、同じく変だけど最高に愉快な知人や友人に囲まれて、自分は24年間を生きてこれたわけで。少し罪悪感を感じてしまうほどに「どれだけ自分は幸せな人生を送ってこれたのだろう。」自分は心底からそう思うんです。この言葉を口にしたときに、軽く涙ぐむほどに。今も涙ぐんでますけど。
もちろん人生に満足したというわけではないし、自分は、自分自身に過度な期待と野望を抱いていて、それによって24年間毎日自分に絶望しながら暮らしてきたし、今でもそうです。その過度な期待と野望は、ずっと自分の中にあって、それはナルシストの一つの形で、なぜ期待し野望を抱くかをすべて説明する事は出来ないでしょう。
しかし、今回のことで、少なくとも一つ、理由付けをする事が出来ました。「自分はこんなにも恵まれた国と家族と友人知人に囲まれた中にいる資格がある人間なのか。いや全然ないよ、少なくとも今までのお前は全然資格なんてないよ」と。だから今から僕は、世界的に見て稀に見るほど幸福な24年間を生きてこさせてもらった恩返しに、それこそ死ぬ気で生きなきゃならない。そうしないと、とても気が済むものではない、そう考えるのです。
分裂勘違い君劇場 - とてつもない奇跡ここまでの実感は、まだあまりないのだけど。きっと宇宙旅行にでもいったら、それを感じる事が出来るのかもしれない。
あなたが、何気なく、澄んだ初秋の青空を見上げ、「ああ、今日も気持ちよく晴れたなぁ」と、心地よく感じることができる確率は、数兆の数兆倍のさらに数兆倍のそのまたさらに数兆倍分の1以下の確率なのだ。

