innocuous idiot - どうして「デスノート」はあれだけ流行ったか? - 内田樹『下流志向』を読みながら思ったこと
上記の記事を読んで、ちょっと色々考えながら文章を書きなぐりました。長文ですし文体が荒れてるので、暇な人のみどうぞ。
上記の記事で、既知のゲームに参加することを嫌う若者ってのが書いてあって、もしかしたらそれは俺かもなとおもった。
自分はローカルルールが嫌いである。グローバルルールが好き。一度覚えたルールが他のところで使えなくなるのがいやだ。例えば、一週間だけのバイト中にそのバイトだけでしか使えないスキルをかなりしっかり苦労をして覚えたとしても、それは無駄になるといえばなる。汎用性が利かない。それが自分はいやなのだ。
同様に、そのローカルルール上で既にハイレベルの応酬が行われている世界に入っていくのも正直やりたくない。その人らのレベルに合わせるために努力をして、時間や労力を費やして、やっとハイレベルな応酬が出来るようになったとたんに、そのローカルルール上で行われるゲームそのものが終了してしまったりするのだから。
そして、そのローカルルール上で、ハイレベルな応酬が出来ることを鼻にかけて幅を利かせるという行為を目にするのも余り気分が良くない。たしかにその場所では王様かもしれないが、ではその場所がなくなったらどうするのだ。そのローカルルールを熟知するのに労力や時間を費やしたおかげで、そのほかのルールではまるで役立たずみたいになってしまうかもしれないではないか。
だから振り返れば、自分の今までの人生の大半は、グローバルルール探しに費やしてきたといえる。言葉を変えれば「本質」探し、つまり時間や場所が変わっても変わらず存在し続けるルールに関して、マスターになれれば、どこでもやっていけるはずだし、最も効率のいい努力ができるはずだと今でも考えている。「世の中を動かしている本当のルール」はどこにあるのかは今でも自分の最大のテーマの一つだ。
「世の中を動かしている本当のルール」を得ることが出来ればそれはいわゆる「悟り」といわれるものかもしれなくて、だから俺は小さい頃かなり仏陀にあこがれていたし、そして例えば法華経の考え方である、いつか人間が全て「悟る」ことができて、みんなが「仏」になって、世界を仏が埋め尽くす、みたいなことは(あとで名前調べる)は本当にあるんじゃないかなって本気で思ってたりする。(ちなみに俺は
もしかしたら「情報革命」は「世の中を動かしている本当のルール」を全員が知るために大変に役に立つのではないかと思っていて、だからそういう意味では、俺は大変に情報革命を好意的に受け入れている。世界の神経系の発達とはよく言ったものだと思う。
追記:
多分これは「グローバルルール」をOSに、「ローカルルール」をアプリケーションに置き換えてもうまくいく。OSが基本ソフト、アプリケーションが応用ソフト、と翻訳できる以上、それは当然のことかもしれないけれど。

